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明治中開校物語 明治中60年の歴史
【後編】〜学校の変遷編〜
 明治中学校は、昭和23年10月に木造2階建ての第一校舎が、翌年3月に第二校 舎が完 成しましたが、開校当時の学校区域は、北は現在の「湘南とうきゅう」から南は 「鵠 沼橋(引地川河口)」までの広大な学区となっていました。

 生徒数の増加によっ てすぐ に手狭になってしまうことから、市内5校のPTA会長連名で当時の内閣総理大 臣吉田茂 あてに「教育予算の実現」の陳情をしたり、明中PTAから市議会に請願をした りして、 第3・第4校舎と校庭の拡張について予算化が出来て、昭和29年に懐かしいH型 に配置さ れた4棟の木造校舎が完成しました。

 昭和30年には生徒数がピークを迎えて全学年で約千3百人にもなり、昭和31年 に湘洋 中学、48年に高浜中学、54年に大庭中学、そして61年に羽鳥中学の開校により順 次学 区を分割していき、現在の登校区域となりました。

 校舎も老朽化した木造から鉄 筋へ と改築し昭和47年には現在の校舎が完成し、平成10年に屋上プールと格技室を併 設し た最新の体育館も整いました。  

 現在の明治中学校の概要は、1学年5組187名、2学年4組152名、3学 年5組168名の 計14学級507名の生徒に、根本恒夫校長を始めとする35名の教職員体制となっ ています。  

 校章は柏の葉3枚をデザインしたものですが、開校後まもなく全生徒から校章 デザイ ンを募集して生徒達の投票により圧倒的多数で決定しました。校門の右手に今で も大 きな幹の柏の木が育っています。冬になっても新芽が出てくるまで葉を落とさず にい ることから、断絶しない目出度い木であるので校章に採用されたようです。

  ま た、 校歌が出来たのは、開校から5年たった昭和27年で、作詞は当時PTA会長で西 洋古典学 者の呉茂一(くれしげいち)氏、作曲は呉氏の遠縁にあたる作曲家の箕作秋吉( みつくり しゅうきち)氏により作られました。  校章も校歌も、自ら作り上げていこうとする明治中学校の文化と意気込みは、 今も 昔も変わりはないようです。  

 学校卒業生も1万7千人にものぼり、同窓生も現役生徒も地域清掃などボラン ティア 活動がとても盛んで、明治地区の地域住民からも信頼のあつい中学校で益々の発 展が 期待されています。

 資料提供:藤沢市立明治中学校同窓会
2008年3月号地域新聞辻堂タイムズ掲載記事