地域新聞辻堂タイムズ
 
その11辻堂物語その11耕余塾 
 

 神奈川県屈指の中等教育機関であった羽鳥の耕余塾。明治5年3月、小笠原東陽が羽鳥村の三觜八郎右衛門の招きで、羽鳥村の廃寺であった徳昌院を利用して「読書院」という名前の学校を作ったことが始まりであった。その年8月に学生が布告されると、読書院は羽鳥学校(明治小学校の前身)となり多くの生徒はここで学ぶことになった。東陽は羽鳥学校とは別に、自由な教育を行うことを目的とし、読書院を私塾として継続し耕余学舎と改称した。明治20年に「耕余義塾」として独自の教育を行い始めた。漢学、英語、数学、理科、西欧史、法制などを教え、寄宿制、小中学一環教育が特徴であった。慶応義塾の福沢諭吉の門下生を教員として迎え入れ、教鞭を振るっていた。
  耕余塾門下生には、吉田茂をはじめとし、鈴木三郎助(味の素社長)など、政財界、学術会、自由民権家など、明治維新後の日本の近代化に大いに貢献した多くの人材を世に送り出した。     
 
   
 

  〈「耕余塾」詳細については 「辻堂物語12」に続く)

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石碑の文字は勝安房(勝海舟)によるもの
   
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耕余塾跡地の整備工事が完了し去る7月8日、竣工記念式典が小笠原東陽130回忌墓前祭とあわせて盛大に執り行われた。 耕余塾跡地も再整備され当時の門も再現された。耕余塾の諸先生や門下生の紹介、吉田茂の書も展示している。
2011年11月号地域新聞辻堂タイムズ掲載記事