地域新聞辻堂タイムズ
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辻堂物語 その19 〜地域の特性を
活かした昔の人の知恵〜

   
   
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かつて、鵠沼・辻堂はサツマイモの大産地で、デンプン工場は藤沢の代表産業でもありました。また、鵠沼の砂丘の高い所では桃、畑ではイチゴ、スイカが作られていました。春から夏、これらは別荘に、そして横浜に販売出荷されました。そしてこれらの作物を作る時に使われたのが「ほしか」でした。その後、鵠沼での「ほしか」の利用は減り、小田原のみかん山で使用されるようになりました。しかし今では「ほしか」は作られていません。肥料を作るときの臭いが陸側に流れ、くさいという理由からだそうです。

 戦前の鵠沼に別荘ができ、さらに戦後には東京のベッドタウンとして発展してきた藤沢。そこに住む人々の食のこだわりが地産へと向き、これに対応するために地元の産物をうまく利用し産業が発展してきました。まさに「地産地消」がうまく成り立っていたわけです。
  初夏に獲れる大量のアジ、サバなどの小魚は捨てずに砂浜にまいて乾燥させ、干し上がった魚は麻袋に入れて発酵させ「ほしか」と呼ばれる肥料にしました。 かつて砂丘だった鵠沼地帯。昭和の初め、小田急線の東側に別荘地が形成されました。この別荘地が地域産物の購入先となったのです。地曳で獲れた上物の魚は片瀬、腰越の仲間人を通して別荘地や藤沢、横浜へ販売出荷され、江ノ島産として人気がありました。

 
 

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2012年10月号地域新聞辻堂タイムズ掲載記事