地域新聞辻堂タイムズ
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  辻堂物語その14 辻堂1番地

 

辻堂の地番は「餅塚」が辻堂1番地となりここから始まっている。昭和の住居表示で現在は城南1丁目1番と変更したが、辻堂の中心からかなり北に位置するこの地が1番地となったのはなぜなのだろうか…。


時は江戸時代、当時大庭村の一部であった「餅塚」は船で田植えをするほどのひどい湿田で、年々不作が続いたにもかかわらず年貢の割付けは重く、小作百姓の苦難は耐え難いものがあり、大庭村にとっても悩みの種となっていた。
一方、辻堂村は砂地で稲作に適した田が少なく、水田を求めても容易には得られなかった。そこで辻堂村が、あえて不利な水田ではあったがこの「餅塚」を譲り受けることとした。この時、大庭村の村人はやっかいな「餅塚」を辻堂村がもらい受けてくれることになったというので、餅をついて喜んだと伝えられている。


明治の初め辻堂地区は26の部落があり、小字餅塚、堂面、出口、久根下、砂場、高砂、勘久、砂山、弥平田、大ヤゲン、浜見山、チョン、地蔵袋、大洗久、猪王面、高山、ガル池、一の坪、後山、土打、熊ノ森、堺田、初タラ、東神台、西神台、長久保、このうち1番から362番が餅塚に区分された。


参考文献)「辻堂古道及び周辺の文化財」 
 

2012年2月号地域新聞辻堂タイムズ掲載記事