地域新聞辻堂タイムズ
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辻堂物語 その18  海水浴事情

 
 
海水浴が日本で行われるようになったのは明治に入ってから、” 冷水浴、潮湯治“ などと呼ばれた海水浴の発祥地は大磯ともいわれている。陸軍軍医総監の松本順の推奨もあり明治18年(1885年)「大磯海水浴場」が開設された。洋風で高級な「祷龍館」も完成し、明治20年(1887年)東海道線横浜〜国府津間が開通(藤沢停車場開通)、大磯海水浴場は賑わいをみせていった。 しかし、「大磯海水浴場」ができる以前から県下では本牧、富岡、七里ガ浜、片瀬なども海水浴場として既に有名であったという。なかでも藤沢は、日本人に海水浴という文化がない時期から海水浴が行われた所であったというのは興味深いところだ。明治5年(1872年)にはフランス人が片瀬で、明治10年にはアメリカ人エドワード・モースが江ノ島で海水浴を行ったとされている。明治16年には外国人と共に日本人が片瀬で海水浴が行われていた。明治10年(1879年)には、ドイツ人医師ベルツも片瀬を海水浴の適地として内務省に推薦し、明治19年(1886年)鵠沼海岸に海水浴場が開設された。片瀬や鵠沼海岸は「遠浅で安全な海水浴場」として当時の新聞にも紹介されていた。
 
辻堂海岸より江ノ島をのぞむ
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七里ガ浜海岸
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参考文献:「湘南の誕生」藤沢市教育委員会、「図説ふじさわの歴史」藤沢市、「ふじさわ歴史と文学」有隣堂)写真資料:藤沢市文書館

 

 

2012年8月号地域新聞辻堂タイムズ掲載記事