地域新聞辻堂タイムズ
 

辻堂物語 その25 引地川の橋あれこれA

 

今回は、現在の静かな引地川では想像もつかない「昔の引地川」をご紹介します。

■「引地川」の名前の由来 引地川はかつて「七曲り」といわれ大きく蛇行した河川で、よく洪水や氾濫を起こしていました。そのことから「土地が川の流れによって押し出される」という意味で「引地川」とした説や、明治時代の皇国地誌では「大庭城が廃城後の大庭開墾の際、流域13村の人々が伊勢山西側の山裾を掘り下げ、鵠沼へと川を流した」ということから、「引いてきた川」「引地川」としたというのが名前の由来のようです。「引地川」という名前には、氾濫に翻弄されながらも、それに立ち向かう先代の人々の姿が垣間見れます。

■荒れる「引地川」
  江戸時代以降の記録では、台風、大雨による水害はもとより、1684年「引地川水害」、1721年「引地川大洪水」など数え切れないほどに引地川は大きな氾濫を起こしていました。
  天明・享和(1786年・1803年)の二度の大洪水では、鵠沼の浅場家二代の手で改修工事が行われたということが、鵠沼海岸4丁目と東海岸2丁目の川岸にある「改修記念碑」に刻まれています。
  1930年代初めまで、大平橋から作橋まで川は西に大きく蛇行し、辻堂小学校の近くを流れていました。蛇行の大きさもまた氾濫の一因だったようです。
  神奈川県による1934年からの引地川改修工事や護岸整備、また個人の尽力などにより、荒い川であった引地川は現在の穏やかな引地川へと変わっていきました。


(来月号では引地川様々な橋についてご紹介します)


(参考資料:藤沢市発行「藤沢の橋」「藤沢の地名」、藤沢市文化センター「身近な川と水辺」「ふじさわの大地」)

 
 
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鵠沼海岸4丁目「鵠沼橋」の横にあります。木々に覆われているので分かりずらいかもしれません。
   
tujidomonogatari2 東海岸2丁目の川岸の「引地川改修碑」 
 

2013年月6号地域新聞辻堂タイムズ掲載記事