http://www.tujidotimes.com



http://www.goddess.co.jp/
辻堂タイムズへ戻る海岸物語へ戻る
ゴッデスアクションスポーツ
湘南の海を殺してはいけない! 「ゴッデス」社長、鈴木正氏 からのメッセージ
今から約24年前、辻堂東海岸に「ゴッデスアクションスポーツ」(現サーフショップ 「ショップマイ」)というウィンドのお店があったのをご存知だろうか?「アクショ ンスポーツ」の2階は「ブレッド&バター」というライブハウスでその名の通りブレ バタがライブをやっていた。当時、人の余り来ない辻堂で、押すな押すなの大変な盛 上がりの店だったと聞いた。その店を作ったのがサーショップ「ゴッデス」の社長、 鈴木正氏である『サーフィンはゴッデスから』と言われる位余りにも有名だ。早速鈴 木氏を訪ねた。  今から26年前、鈴木氏はハワイでとんでもないものを見た!それは波の中で物凄い スピードで走ったり、空中にジャンプしたりする。当時、日本で見た事のないアクティ ヴなものだった。それがファンボードだった。「これはすげえ!これはやるっきゃな い!」とオアフのカイルアでチャリー・ウォンから習う。そして、ひたすら練習を重 ね、「正にアクティブなスポーツ!」の意から、ゴッデスアクションスポーツを開い た。その技を湘南に伝授しスタイルを築き、やがて日本中に広がっていく。当時ウィ ンドサーファー艇しかない若者に衝撃を与え、爆発的なブームとなる。アクションス ポーツの2階は初め学生相手の軽食のお店だったがそのうち、ブレバタのライブを行 う様になった。そして、アクションスポーツは次々と若者が集まってきて大変な盛上 がりだったのである。そして、その頃から辻堂東海岸周辺のイメージが上がった。鈴 木氏はサーファーとしても、シェイパーとしても実力は本物。4月号で掲載した「マー ボーロイヤル」の小室氏が湘南で初めて行われたサーフィンの全日本選手権ジュニア クラスで優勝した時、鈴木氏はシニアクラスで優勝している!当時「ゴッデス」は最 強チームだった。現「コストライン」の小田氏、現「ショップマイ」の小池氏も入 賞している。そのボードは全てゴッデス製。その後、湘南であちこちでウィンドの店 ができた。それは、まさに、ウィンドサーフィン全盛時代だった。
 その後、「ゴッデス・アクションスポーツ」は辻堂が風向きが合わない事から閉店し、サーフショップ「ゴッデス」として鵠沼海岸に場所を移した。丁度、ウィンドに陰りが見え始めた頃である。やがて、ウィンドの全盛期からサーフィンの時代となり、当時若者だった35〜45才の方の熱く燃えた日々の思い出として心の中に残ている。
 常に時代をリードしていく鈴木氏。茅ヶ崎本店を初め、全国にサーフショップを展開。昨年は千葉、一の宮に日本最大級のサーフショップをオープンさせた。「若い人に海に親しんでもらいたい」と鈴木氏。数々のコンサルタントをこなし、ヒットを生み出すアイデアマン。何とあの『ちゃりぼー』と呼ばれる自転車にボードをつける器具も、鈴木氏の発案である。近年は茅ヶ崎の行政の海の開発プロジェクトにも参加している。「テトラポットで命を落としている人がいる」とサーフィンに適した構想を提案している。「これからは海岸の有効利用の時代。辻堂海岸もその可能性を持っている。八景島の海の公園の様に楽しめる海を!それが、高い文化圏である湘南を活性化させる事になる」。海に精通 する鈴木氏が心配している事は温暖化の影響により、このままでは波がなくなってしまう事だ。「台風がめっきり減っている。何かアクションを起こさなければ!人工的に波を起こさせる事も可能だ。市民が動く時代だろう。行政と市民の共同開発を願っている」と鈴木氏。59才とは思えないパワーを感じた。
 (この記事は2001年8・9月号に掲載したものです)

↑若し頃の鈴木正氏 25才頃 


↑鈴木氏が初めてベニヤの板で作ったボードサーフ ィンに対する情熱を感じる 後ろのスバルが懐かしい
 

↑ 映画「稲村ジェーン」のサーフィンの
指導者も鈴木氏(一番右)だった!
右から2番目が加勢大周