human story

辻堂の人

小澤 直幸氏(株式会社 門倉組 取締役相談役)


『時代を読む直感力』


 先代の門倉与吉氏が鳶からスタートし90周年を迎える門倉組。地元辻堂から藤沢一の建設会社への成長を成し遂げた小澤氏にお話を伺った。  小澤氏は二宮の半農、半漁、会社員、三足のわらじを履いた家に男7人兄弟の三男として生まれた。戦中戦後の食糧難、物資不足の時代。幼ない頃からわんぱく坊主で、親分肌。要領がよく、仲間をしきっていた。「さつまいも、みかん、すいか等を近所の畑に盗みにいったね。それを皆で食べ空腹をしのいだ少年時代。食料をこっそり独り占めして食べようとする奴がいると飛んでいって食べ物に砂をかけた。それで、食べ物を洗って平等に分けたりした」と懐述する小澤氏の正義感が伝わる。学生時代はスポーツ万能で、野球やサッカーで活躍。名高い相撲部の先生からスカウトされた事も。そんな小澤氏は『大工になって全国各地を歩きたい』と神奈川工業高校を卒業後、就職難の時代に白井組(横浜)に就職。交通 機関をはじめとする戦後復興に奔走した。横浜西口の名店街建設に従事したのもその頃である。そして、大林組出向中、門倉組に共同事業で出会う。先代の門倉与吉氏に見込まれ、やがて娘の初江さんと結婚し門倉組後継者となる。石油ショックの当時、門倉組はまだ小規模な会社で、やり手のいなかった公共施設の建設を赤字覚悟で引き受けた。「人の嫌がってやらない仕事を請け負ったり出来る事を地道にやってきた」と小澤氏。高度経済成長と共に大規模な公共事業の需要に乗り、業績を拡大していく。そんな激務の中であっても、地域への方との交流を大切にしてきた。先代と同じく東町町内会会長を勤め(12年間)、当時分離していた地の人達の旧町内会と東町親和会を1つにまとめた。子ども会をつくり、昔の遊びを子ども達に教えたり、子どもの交通 安全やスポーツの普及にも貢献した。また、お祭り男と呼ばれる程、大のお祭り好きで夏祭りでは率先して、お神輿や山車を引いた。「祭りは気合いだ!勝ち負けがある。俺んとこは誰にも負けねえって闘争心を持つ事だ!御神酒を飲むには、地域の皆が一緒に無病息災を祈るっていう意味のある事なんだよ」。  やがて、住宅の需要が急増し、「これからは工業化、大量生産の時代だ」と昭和44年ミサワホームと業務提携し、湘南ミサワホームを設立。低コストで均一の高品質な住まいづくりを実現。その後、「建築後のサービスの充実が必要」と24時間体制でのメンテナンスを行う湘南ミサワホームイングや庭のガーデニングサービスを設立。『土地を探して欲しい』という声から、湘南ミサワホーム不動産を設立。やがて、住宅も成熟期となり、低価格の競争が激化。ライフスタイルに密着した事業として、生活介護や住まいの相談を行うホームフレンドを設立した。  そして、昨年長男の幸喜氏に社長の座を渡した。「今は藤沢市のまちづくりに商工会議所都市基盤整備委員長として積極的に取り組む一方、東海岸一丁目町内会会長やわかたけ福祉協会理事として、微力ながら今までお世話になった地域の皆さんにお返しがしたい」と語る。激動の時代に生きて多様化する時代のニーズをいち早く読む。小澤氏から学ぶものは多い。  
タイムズHPに

辻堂タイムズ2002年6月号掲載記事