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藤沢市辻堂小学校 辻堂物語 第一回目
第二回目
第3回目 第3章辻堂駅の誕生にかけた人の願い 

地域とはぐくむ地域学習辻堂タイムズでは、辻堂小学校の子ども達の活気あふれる『辻堂物語』の授業成果を7回に分けて連載していきます。みなさんも一緒に考えたり、答えてみてね。
私たちのふるさと辻堂探しにでかけよう・・・
地域学習 『辻堂物語』完成。子どもたち自ら取材・調査!
藤沢市辻堂小学校4年5組(昨年度) 辻堂物語 監修 滝沢 博先生

第4章  太平洋戦争下の辻堂
辻堂物語は、藤沢市立辻堂小学校滝沢先生が、『昔の辻堂を調べてみよう』と昨年の4年5組の子ども達とあらゆる角度から辻堂探しを始め1冊の冊子にまとめたもので、タイムズでは7回に亘り紹介しています

 太平洋戦争下の辻堂を調べた4班は、辻堂海岸で行われた横須賀海軍の陸戦演習を
体験した瀬藤進一さん、当時中学生だった阿曾春夫さんを取材し、空襲被害や米軍の
進駐なども調べた。「終戦間際には、アメリカ軍が相模湾から上陸するかも判らない
との想定で砲舎陣地が辻堂海岸(現在の辻堂海浜公園、公団、工科大他)に構築された」お話を聞いた。
子どもたちの発表より…
子ども達の発表から…
 ぼくらは、辻堂にもあったという戦争について調べてみました。今年は、大東亜戦争(太平洋戦争)が終わってから、ちょうど60年となります。辻堂小学校の年と同じことから、アフガニスタンやイラクの戦争とは違い、身近なところで戦争があっことが分かりました。今の辻堂海浜公園は、県が管理していますが、もともとこの浜は、江戸幕府の直轄地で砲術調練場として、管理されていました。明治になってからは、海軍の演習場として、多くの兵隊がここ辻堂に集まって来ました。現金収入がない農家にとっては、海軍兵を泊めることによって、お金が入るため、うちにも泊めたとして、力のある農家の家主にお願いに上がる者も多かったようです。海軍は大きな農家の庭を借り、そこで食事をつくり、バラバラに泊まっている兵隊が食事をもらいにいくという形で過ごしたそうです。 石井三郎さんが当時海兵隊員が泊まった農家について調べてくれた地図があります。生活道路に沿う多くの農家に宿泊していたことが分かります。海兵隊員の食事は、自らが調理し吉田家の庭で行いました。本部は桜井家に置かれ、武器庫は山田家にありました。
 辻堂駅前で爆発事故があったり、善行にあった滑走路が爆撃されるなど江ノ島を目指して米軍のB29がやってきたといいます。

辻堂物語 4番
(元4年5組作)

昔の砲撃 調練場
300余年の 歴史あり
海軍・米軍 上陸作戦
薬きょう拾った 子ども達
今は静かな 浜公園
潮風集める 砂の山
高い砂山  浜見る山と
名前が残る 停留所


▲4班の子どもたち

*瀬藤進一さん、阿曾春夫さんのお話は作成中です
●4班の感想より
「インターネットでは、参考になる資料がなかった。自分たちでよくまとめたと思う」「友達と協力してできた。まとめて行くうちに分かって来た」「友達の指示どおりに進めていった。発表後先生にちょっとほめられ、嬉しかった」
お詫びと訂正 前号辻堂物語
3番の詩に2行目『みんなの寄付で造られた』が抜けてい
ました。お詫びいたします。
(辻堂タイムズ2005年7月号掲載)